クメール遺跡と言えば、アンコール・ワット。
その昔、密林の中から、突然、巨大な遺跡が、目の前に現れました。
クメール文化をヨーロッパに紹介したアンリ・ムオが、
最初にアンコール・ワットを見た時は、どのようだったのか?
アンリ・ムオが、最初にアンコール・ワットを見たのは1860年の事です。
この遺跡は、私にとって、テレビで何度も見て、いつか行ってみたいと思っていた遺跡です。
そして、現在は、世界中から多くの人々が訪れる世界遺産になっています。
アンコール・ワットは、
東西1.5km、南北1.3km、幅190mの環濠に囲われた
巨大遺跡です。
そして、クメール遺跡は、
通常、東向きに建てられていますが、
アンコール・ワットは、西向きに建てられており、
西参道から入って行きます。
右写真は、環濠の外、
西側少し北よりから撮影したところ。(2006年撮影)
アンコール・ワットは、5基の祠堂を持ち、
写真中央の三角形に尖った屋根は、主祠堂です。
右写真は、環濠の外、
西側少し南よりから撮影したところ。(2003年撮影)
これは、2003年の撮影で、
当時は、環濠の護岸の修復が行われていました。
西参道手前、少し北よりから、見たところ。
(2006年12月撮影)
中央の頂上が平らな屋根は、西塔門です。
周壁には、東西南北に塔門がありますが、
西側が正面で、東西南北の塔門の中で、
西塔門が一番大きく造られています。
西塔門です。(2006年12月撮影)
塔門は、中央に大きな門、
更に両側に少し小ぶりな門で構成されています。
更にその両脇には、象が通れる「象の門」があります。
■周壁の西塔門
西塔門の破風です。(2006年12月撮影)
その拡大写真です。(2006年12月撮影)
お猿とアスラが戦っていると言う事は、ラーマヤナの一場面か。
西塔門の中央門南側のレリーフです。
(2006年12月撮影)
西塔門の中央門北側のレリーフです。
(2006年12月撮影)
そして以下のようなレリーフもあります。(2006年12月撮影)
上のレリーフのAの部分の拡大写真です。
これは、何のモチーフか?
中央部は、ガルーダ?
両手が羽のような、そうで無いような?
口ばしは?
もしもガルーダなら、
中央少し上の大きな体の人物は、ヴィシュヌ神?
しかし、両腕に女性を抱きかかえています。
なんと好色な!
ヴィシュヌ神のイメージとは、少し異なるような。
何の場面でしょうか?想像するのも面白い。
知っている方おられたら教えてください。
上のレリーフのBの部分の拡大写真です。
これは、
アナンタ竜の上に横たわるヴィシュヌ神
です。
ヴィシュヌ神の体は削り取られていますが、
ヴィシュヌ神の臍から蓮の花が伸び、
その上にブラフマー神が座しています。
ヴィシュヌ神の足元には、
普通、ラクシュミーが
足をさすっているはずですが、
この図はヴィシュヌ神と手をつないでいる
ように見えます。
西塔門の南側の小塔門内には、
ヴィシュヌ神像が安置されています。
(2006年12月撮影)
西塔門の南側の小塔門の内部から、祠堂方向を見たところ。
(2006年12月撮影)
西塔門の南側の小塔門を抜けて、祠堂方向を見たところ。
(2003年撮影)
写真の中央辺りに南側の経蔵が見えます。
■周壁の西塔門のデヴァター
西塔門の中央門方向に歩いて行くと
デヴァターのレリーフがあります。
(2003年2月撮影)
そのデヴァターの顔です。
(2006年12月撮影)
アンコール・ワットには、
2000体あまりのデヴァター像が
彫られています。
その中で、
歯を出して笑っているデヴァター像は、
ここだけです。
首の3本のシワも印象的です。
このレリーフは、歯は見えませんが、
デヴァターの格好は良く似ています。
(2003年2月撮影)
こんなレリーフもありました。(2006年12月撮影)
後から彫られた異なる時代のレリーフのように見えます。
これは、シースルーのような腰布をまとった
デヴァターです。
(2006年撮影)
2体並んだデヴァターです。(2006年12月撮影)
一人は、鏡を見て髪型を直している?
一人は、香壺でしょうか?壺を持っています。
(2003年2月撮影)
(2003年2月撮影)
(2003年2月撮影)
(2003年2月撮影)
■参道~第1回廊
西塔門の中央門を抜けた檀上から、
正面の祠堂方向を見たところ。
(2003年2月撮影)
参道を主祠堂に向かう途中で、主祠堂を見たところ。
(2006年12月撮影)
参道を主祠堂に向かう途中のナーガのテラスです。
(2006年12月撮影)
ガイドさんが、
ここが撮影ポイントのひとつだと勧めてくれ
シャッターを押してくれました。
そう言えば、写真家のMichael Freemanも、
このテラスからナーガと祠堂を一緒に撮影した
写真が有名です。
(2006年12月撮影)
でも、ちょっと構図が違う。
このナーガのテラスを南、または、北に降りて進むと
経蔵があります。
更に参道を真直ぐ進んで行くと、
第一回廊の西塔門が見えてきます。
(2003年2月撮影)
そして第一回廊の西塔門の壇上から、
周壁の西塔門方向を振り返ったところ。
(2003年2月撮影)
中央辺りに浮いている球は、
空からアンコール遺跡群を見下ろす
観光用の気球です。
■聖池越しのアンコール・ワット
第一回廊の西塔門から少し引き返し、
参道の北の聖池の前から、
祠堂方向を見たところ。(2006年12月撮影)
ガイドさんからは、
逆さアンコール・ワットの撮影ができるので、
ここも観光客に人気の撮影ポイントだと
教えてくれました。
右は、私が撮影した逆さアンコール・ワットです。
これも同様に
聖池越しのアンコール・ワットです。
(2003年2月撮影)
聖池を越えて、第一回廊のある基壇上へ上がって、
中央祠堂方向を見たところ。(2006年12月撮影)
これも同じような角度から見たところ。
(2003年2月撮影)
■第一回廊 西面のレリーフ
第一回廊の北西角の入口を入って、
反時計回りに進んで行きます。
第一回廊 西面北側には、
ラーマヤナ物語のレリーフがあります。
右写真は、
ラーマ王子の猿の軍団と、
魔王ラーヴァナのアスラ軍が
戦っている場面です。
(2006年12月撮影)
猿軍とアスラ軍の戦いの場面です。
(2006年12月撮影)
猿達が、アスラ軍の戦馬を奪い取ろうと
しています」。
白猿ハヌマーンの上で矢を射るラーマ王子です。
(2006年12月撮影)
20本の腕と10の頭を持つ
魔王ラーヴァナです。
(2006年12月撮影)
アスラ軍と戦う猿軍です。(2006年12月撮影)
■十字回廊
十字回廊のデヴァダーです。(2006年12月撮影)
触りたくなるような胸の形なんだろうなあ。
十字回廊の沐浴の池です。(2006年12月撮影)
底には、水を流す溝が配置され、穴が開いています。
排水用の穴?(赤丸印)
十字回廊の天井のレリーフと、天井に残った朱色です。
(2006年12月撮影)
柱に残るサンスクリット語です。
(2006年12月撮影)
アンコールワットの落書きです。(2006年12月撮影)
と言っても、1632年に父母の菩提を弔う為に
インドの祇園精舎と思われていたアンコールワットへ渡った
森本右近太夫一房の落書きで、
当時、ガンボジアと日本が交流していた事を示す
貴重な落書きです。
その拡大写真です。
確かに森本右近太夫と書いてあります。
命がけで海を渡った人の落書きです。
■第一回廊 南面のレリーフ
第一回廊の南面西側には、
アンコールワットの創建者
スールヤヴァルマン2世の軍隊の行進の
レリーフがあります。
玉座から指示を出している姿に
威厳を感じます。
(2003年2月撮影)
第一回廊の南面には、復元された花模様の天井があります。
(2003年2月撮影)
第一回廊の連枝窓です。
(2006年12月撮影)
第一回廊の南面東側には、
天国と地獄のレリーフがあります。
そして、そのレリーフは、
上段、中断、下段の3段に分かれており、
上段が天国、中断が現世、下段が地獄と言う
構成になっています。
右写真は、地獄の図です。(2006年12月撮影)
罪人たちが、這いつくばったり、
許しを乞うたりしているように見えます。
それでも鞭打たれています。
これも地獄です。(2006年12月撮影)
逆さに持ち上げられている人もいます。
これも地獄です。(2006年12月撮影)
中央では頭をもたげた蛇に
食べられています。
その下では、獅子に足を噛みつかれて
逃げようとしています。
少し左では、牛か?馬?に頭の角で
持ち上げられています。
中央では、獄卒が棒で叩いています。
奥には大きな象が、
鼻や牙で罪人を持ち上げています。
(2006年12月撮影)
水牛に乗るYamaです。
18本の腕を持ちます。
天国か、地獄へ落とすか
最後の審判を行っています。
日本では、
夜摩天、または、閻魔大王の事です。
(2006年12月撮影)
判決を下している場面です。
写真右端は、
地獄へ落とされている人々です。
(2003年2月撮影)
地面に横たわった人の舌を抜いています。
(2006年12月撮影)
針地獄です。(2006年12月撮影)
吊るされた人の全身に針が刺さっています。
■第一回廊 東面のレリーフ
第一回廊の東面南側には、
乳櫂攪拌
のレリーフがあります。
5つ頭の大蛇ヴァースキを
綱引きの綱にして、
アスラ(阿修羅)と神々(デーヴァ)の
綱引が始まりました。
こちら(南側)がアスラ達です。
(2006年12月撮影)
ここもアスラ達です。(2006年12月撮影)
大亀クールマの上のマンダラ山に、
綱引きの綱になった大蛇ヴァースキが
巻きついています。
中央で音戸をとっているのは、ヴィシュヌ神です。
左手の円盤は、輪宝(チャクラ)です。
綱引きの心棒のマンダラ山を綱引きで回転させ、
大海を攪拌する事により、大海は乳白色となり、
やがて不老不死の妙薬アムリタが出現します。
ヴィシュヌ神の頭上を飛ぶのは、
乳海から生まれヴィシュヌ神の妻となる
ラクシュミーです。
(2006年12月撮影)
こっちは神々が綱を引いています。
(2006年12月撮影)
■第一回廊の内側
これは、第一回廊の内側の経蔵です。
(2006年12月撮影)
これは、どこの破風だったか?
すぐに記録を残してないので、忘れてしまいました。
でも第2回廊の南西角の西面の破風だったと思います。
(2006年12月撮影)
その拡大写真です。
これは、第2回廊から、第一回廊に向けて作られた排水溝です。
(2006年12月撮影)
これも、どこだったか?わからなくなりました。
でも、第2回廊の南塔門の南側の入口ではないかと
思います。
(2006年12月撮影)
その拡大写真です。
(2006年12月撮影)
■第3回廊 ~ 主祠堂
東側から第三回廊への急な階段を登り、
東を振り返ったところ。
(2003年2月撮影)
参道がまっすぐ伸びています。
左上隅に写った黒い影は、私の指です。
お猿のレリーフを見つけました。
(2003年2月撮影)
その拡大写真です。
(2006年12月撮影)
しぐさが、なんとも言えずかわいらしい。
こんなレリーフもあります。
(2006年12月撮影)
その拡大写真です。
中央には、
3つの頭を持つ象
アイラーヴァタ
に乗る
インドラ神です。
その右側に立つ
人物は誰?
そして、左側は?
顔は削り取られて
いますが、
腕には羽が生えて
いるように
見えます。
と言う事は、
ガルーダかな?
中央祠堂を見上げたところ。
(2006年12月撮影)
中央祠堂です。(2006年12月撮影)
これも中央祠堂です。(2003年2月撮影)
(2006年12月撮影)
第3回廊内のデヴァターです。(2003年2月撮影)
ここにも自分の指が思いっきり写ってしまいました。
第3回廊の西塔門から、西を見たところ。
(2003年2月撮影)
通ってきた参道が見えます。
第3回廊の南面の急な階段を下り、
南西から中央祠堂を振り返ったところ。
(2003年2月撮影)
■帰りに
帰りに中央祠堂方向を振り返る。
(2006年12月撮影)
(2006年12月撮影)
(2006年12月撮影)
(2003年2月撮影)
帰りに周壁の西塔門のデヴァターを再度見てみます。
(2006年12月撮影)
髪型も、みんなそれぞれ、おしゃれです。
周壁内部には馬もいます。
ここで馬と写真を撮るようです。
(2003年2月撮影)
(2003年2月撮影)
私は、2003年と2006年に2回訪れましたが、遺跡自体が大きすぎて、十分見きれていません。
再訪したい遺跡です。