この遺跡は、王宮前広場の東側、象のテラスの向かい側、勝利の門へ通じる道を挟んで南北に6基ずつ、計12基の
祠堂から成っている。
遺跡の名前は、「綱渡りの踊り子」を意味するらしい。
塔の間に渡した綱を、踊り子達に綱渡りを
させ、王が象のテラスから見物したと言う説が
ある。
右の写真は、Preah
Pithuの祠堂T(北西)から、
眺めたところ。
整然と並んでいる。
また、中国の元朝の使者
周達観は、
「真臘風土記」の中で、以下のように書き残している。
2家族間で抗争が起こり、真偽がわからない
場合は、2つの祠堂の中に別々に監禁する。
塔の外では、お互いの家族が見張っている。
2日、3日すると、誤りを犯した者には、潰傷、
または、発熱などの症状が表れてくる。
正しい者は病気にならない。これを天啓と言い
曲直を土地神の霊により裁判する。
抗争を解決する裁判に使用されていたらしい。
右写真は、北東から見たところ。