王宮  :  失われた木造建造物

 訪問日

 16Dec2006

 創建者

  Suryavaruman 1st
 創建年代  11th
 建築様式  Bakheng Style、 Bayon Style
 宗教  Hindu



王宮跡は、アンコールトムのBayonの北西、Baphuonの北に位置する。

王宮は、Suryavaruman 1Stにより建てられ、王宮敷地内の建物は、変容、再建を繰り返して来た。
しかし、1431年のアユタヤ軍の侵略により、王宮の木造建築物は消失してしまっている。

王宮は、城壁に囲まれ、北と南に各二つと、東正面に一つ、計五つの塔門が配されている。
特に、東塔門は、他の門より大きく、その東塔門の前には、象のテラスがある。

そして、東塔門から、まっすぐ東に進むと、アンコールトムの勝利の門があり、軍が戦いから戻って来た時には、
王が、東塔門から象のテラスに出て、閲兵を行ったのであろう。

また、王宮敷地の中心には、Phimeanakasがある。

以下は、王宮の平面図(Size: Free)






























王宮へ、城壁の南側に二つある城壁のひとつ、東側の城壁から
敷地内へ入る。


















そして、王宮の敷地の中心にあるPhimeanakasへ向かう。

このPhimeanakasは、クメールの王が蛇神ナーギーと交わる為に夜な夜な通ったと言う伝説が残る。
Phimeanakasの紹介は、ココ!(←クリックしてね!)

Phimeanakasの次は、王宮敷地の北東にある大池と小池に向かう。

実際には、王宮内には、五つの池がある。
よって、大池、小池と言ったって、どれがどれ?って事になるのだが、観光客を案内する池として、
敷地内の北東の二つの池を大池、小池と呼んでいる。

また、ガイドブックによれば、大池を男池、小池を女池と説明しているものもあれば、
大池を女池、小池を男池と呼んでいる二つの説が存在している。

私は、どちらの説が正しいのか、よくわかりません。



これが、大池。

東西125m、南北45mある。
南側と西側には、土手が築かれている。

池の底までは、13段の階段が続いているらしい。















また、大池の西側には、りっぱなレリーフが
残っている。


左側は、七つの頭を持つナーガ神(蛇神)。






















これも、ナーガ神(蛇神)。


























口ばしと羽が見えるのは、ガルーダ。


























池の下段の方には、水中の生物達が…。




















その拡大写真。

大きな魚。
魚のように見えるが、
象の鼻のような突起も
ある。

中央の生き物は、
長いシッポ、四本足、
象の鼻がある。
海獣マカラかな?

その左側は、ワニのように見える。







この写真の右側にも、ワニ。

中央には、4本足で立つシンハ。
でも、鼻が長いように見える。
そして、ここは、水の中だと思うので、マカラ。
















レリーフは、更に続く。



















その拡大写真。

右寄りには、亀の姿も
見える。

中央、左寄りには、
龍にも見える。















大池の東側。

この大池の向こうに小池が見える。


















大池の東側。

この辺りは、レリーフは、崩れ無くなっているようだ。


















小池。

東西40m、南北20m。

周囲は、階段状に砂岩が積まれている。
















小池の周囲の石積み。

砂岩の表面が、局面状に窪んでいる。
ガイドさんの説明によると、毎日、沐浴をする人が、座る事によって、
お尻の形に、削れたのだと言う事だ。 


















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